6月16日と17日に実施予定だった標記の大会で420級は実施できず、7月1日に延期された試合を振り返る。
スポーツの世界では運はつきもの。運を天に任せ、人事を尽くして天命を待つ。何か幸運を運び込むような動きがないか考える。それはより良い状態をイメージトレーニングすることに近い。勝利を具体的に想像できる人は夢がかなう。目標をビジュアル化することで、目的意識が明確化する。勝負は時の運だから、でも時の運は自分次第で呼び込める。
運も実力のうちというが、努力して実力を身につければ自然と運気が前向きになる。勝利した結果、まるで運命のように偶発的な想像を超えたような幸運という錯覚を見せるが、実際は努力の結果。因果応報で、運のように見えたものも、実は自らが知るか知らずか自分の努力で味方にして得たもの。運を味方につけるための不断の努力は、運と実力を兼ね備えたように見えるが実際は主観と客観で見え方が違うだけで、当の本人は淡々と実力を発揮したのみなのである。
まわりの人間がさも幸運のように結果をとらえているだけで、すべては人の為せた業である。いつでもフルポテンシャル、全力が出せるように下準備すること。結果はおのずとついてくる。
風任せのように見えて、実は虎視眈々と風を待っている。気を見計らって絶好の風をとらえる。潮の流れや風の強弱は自然相手で理不尽かもしれないが、自然から有効なエネルギーをつかむことは決して行き当たりばったりではない。瞬時の予測と瞬間の判断で艇を動かし自然の風を自分のものにする。運をつかむ、運気を上げる、運試しは腕試しと同様で、偶然に見えるものは単なる偶然だけで終わらない。そこには必ず人の力が加わり影響してくる。まったくの無抵抗、無力の偶然みたいな結果ではないのである。
合気道のような力を取り込む流れが、自然相手にも行われているように感じる。その力の流れをいかに自分の領域に持ち込めるかで勝負が変わってくる。人のせいにも自分のせいにもできるが、他力をうまく取り込んでコントロールできれば、自分の意のままに欲しい力が手に入る。意に反する作用があれば相手をうまく「いなす」ことも重要で、匙加減や力加減がどんな競技や種目でも技の要のように思う。
競技を生活や学習活動と別個にとらえる節があるが、本来はすべて人の道に通ずるものとみなせる。体を動かし覚えたことが頭で処理され次に生かされる。場面の想定と実際の実働を通じて経験値を高める。すべてが次の行動につながる。枝葉をたどればすべてがつながるのであるが、普段の生活では分断された意識下で中々全体像に思いを巡らすことは少ない。集中のための分断は時に必要だが、いったん少し離れて深く広く物事を考えることも大事だろう。思いを巡らせる機会があれば人生はより豊かで充実したものになりそうである。遠征試合がその機会になれば幸いである。
朝から豪雨の松山からやってきた香川でも小雨やまず。
準備中。